2001年7月北海道ツーリング
(札幌から西海岸を北上、礼文島へ渡りオホーツク沿いに南下)
7月3日 礼文島-サロマ湖畔の”とほ宿”さろまにあん宿泊 松山から最終走行距離 1008KM
5時30分起床。よく眠れました。どこでも寝られるというのは特技に数えても良いかもしれません。小雨の中、約1時間半で撤収を終え港近くの喫茶店で朝食。8時45分発のフェリーに乗船。来るときもそうでしたがフェリーは超満員。2時間をデッキでKENTAのGPSを借りて遊びました。いいですね。来週同じものを持っているような気がします。(^_^;
朝のメールより:
おっはー:
みなさん おはようございます くもは今日も元気にお目覚めです 野鳥のさえずりと小川の流れが耳に心地よいです
そして快晴です 走るぞーー(^o^)
礼文を後にします:
さっきはテントの中で書きました 明るかったのはテントの色のせいで天気は雨模様(>_<)
悲しい これから稚内ゆきのフェリーに乗ります
出港しました:
フェリーは超満員です とんでもない状況です ユースホステルの見送り風景を見て20年前を思い出しています
甲板でカモメに餌をやっていたらカモメが集まってきて撮影会になっています
ここは稚内の港にある防波堤ドーム。旧樺太航路の船の発着場だったとか。サスペンスドラマでは麻薬の受け渡し場所になったり、死体が発見されたりする場所です。(^_^;) 他にもライダーが野宿しています。雨がかからないのでKENTAはここで荷物の整理、その隣に浮浪者らしき人がいて、「おい、あれ乞食かなあ」、「北海道で乞食なんて、寒いから辛いだろう」などと自分としては小さな声で話した後、防波堤ドームの先端までバイクで走って遊んでおりましたが、後で聞けば荷物をばらしていて走り去れないKENTAとその浮浪者らしき人のあいだがきまづくなったとか。申し訳ないっm(__)mペコ
くもさんは「乞食、乞食」と何度も言って、我関せずと走っていってしまうんだからぁと、あとでKENTAからさんざん言われました。(^_^;) 実はその御仁、リヤカーを引っ張って日本一周中をされておられるようでした。(^_^;
間宮林蔵が樺太に渡った場所 想像を絶する環境だったろうと当時に思いを馳せる 雨が降るだけでこんなに寒いのだから |
宗谷岬に到着 | |||
間宮林蔵 | 最北端食堂 | 最北端ラーメン 1300円 |
雨の中で ヘルメットをかぶる |
|
最北端の給油所でメンテ中 最北端での給油証明をもらった(^o^) |
稚内から一走りで宗谷岬に着いた。途中は雨模様ではあったが交通量は少なく、景色を見ながら快適に走れた。稚内の市街を離れると民家が少なくなる。左側になにやら碑があるので寄ってみた。間宮林蔵の出発地とある。彼の樺太への旅が大変な冒険だったことが容易に推測される。今のような防寒着や携帯食料、携帯燃料、バイクなんてとんでもなかったろう。宗谷岬に林蔵の業績をたたえた記念碑があった。粗末な衣類だ。ここで昼食を取ることにした。名前に惹かれて入った食堂が最北端食堂。寒さのせいだろう。最北端ラーメンがうまかった。後の予定(といってもどこに泊まっても良いのだが)がつまっているため早々に退却することとした。宗谷岬でのショッピングや観光はせず。草原の広がる丘陵の方へ登ってみたいとも思っていたがあきらめた。天気はずっと小雨。どうしてこう北海道へ来ると雨になってしまうのか。(; ;)ホロホロ
宗谷岬からのメールより:
寒い:
宗谷岬にいます 雨降ってまーす 寒いでーす とっとと南下しまーす
オホーツクを左に見て宗谷国道を南下する。ほとんど民家がない。地図を見ると小学校のマークだけがある。猿払村へ入った。自衛隊の演習場とある。なるほどどこへ向けて大砲を撃っても全く問題ないような土地だ。オホーツクを離れてしばらく内陸を走っていると浜頓別に着いた。やや大きめの街だが高い建物はなく、こじんまりしている。クッチャロ湖を1周してみたいのだが時間がない。先を急ぐ。10キロほど走ったところで雨足が強くなり休憩することとした。(神威岬公園)シールドの手入れをして出発する。北緯45度線の看板があったが、雨のためバイクを降りるのがおっくうでパスした。枝幸に入った。ここは市街地を避けるようにして走り抜けた。ゆっくりできればいろいろな出会いがあるだろうが、先を急がねばならない。
次の休憩場所は道の駅おうむ(雄武町)。おうむ浄化センターなんてのもあった。老人ホーム「おうむの里」なんてのがあったりして(^_^; ここで重大事件発生。KENTAが財布兼小物入れを紛失。どうやら缶コーヒー休憩の場所で落としたらしい。早速GPSで落とした場所を推定し、TRACK BACK機能で往復時間を推定。僕だけが先発して今宵の宿泊先を探しておくことになった。CATSとKENTAは引き返した。携帯と、近くなれば無線機で連絡を取り合うこととした。
二人と別れてオホーツク国道(238号線)を南下した。程なく紋別に到着した。かなり大きめの街だ。カナダのバンクーバーに雰囲気が似ている。美しい街だった。北海道に住むならここだ。オホーツクスカイタワーに登ってみたいと思ったが宿探しに手間取るといけないため仕方なくパスした。今日は1時間ごとにタンクバッグ上の地図をめくっている。相当な距離を移動していることに改めて気づく。
紋別を過ぎるとすぐに上湧別に入った。碁盤の目のような整った街路を走り抜けるとサロマ湖だった。う~ん。広い!!道の駅サロマ湖でコーヒー休憩をとり、網走へ向かった。しかし、すでに薄暗くなり、網走へ到達するのは無理と判断。とほ宿さろまにあんへ宿泊することとした。さろまにあんの手前5キロほどのところで鹿が道路に倒れていた。びっくりした。かなり大きな鹿だったが、交通事故だったのだろうか。あんなのにぶつかったら車とてただでは済まないだろう。後で到着したCATSに聞くと、いなかったとのこと。ただ寝ていただけ??
約1時間ほどの遅れでCATSとKENTAが到着した。財布はなかったとのこと。最北端給油証明が残念とのこと。仕方ないか。それより、紛失届を提出した交番でのいきさつが面白い。話好きの警官だったようだ。スピード取り締まりのことなど聞き出せたらしい。(^_^;)
それにしても多くの土地をパスしてしまったことが悔やまれる。サロマ湖では湖の反対側、オホーツク海側へも行ってみたかったが、行けなかった。
この宿、きたないけど安いのがいい。到着が遅かったため宿での食事はとれず、近くの居酒屋へ行くこととした。宿の親父に予約してもらっていったところ、凄い内容だった。一人5000円でお願いしますと言ったところ、おかみさんは驚いていた。そんなに食べられるのかと。つきだしにズワイガニが1匹、これで半分は終わったかと思いきや、出るわ出るわ。ホタテ料理のいろいろ。生あり、焼きホタテあり、煮物あり、ホタテの貝柱(出荷の際に捨てる部分らしくいくらでも出てくる、新鮮なためこれがまたうまい、これはタダ?)、圧感はカニみそのグラタン(カニみその固まり)、もちろん刺身やウニ、貝は当たり前。完璧に酔っぱらってしまった。結構飲んだけど6000円くらいだった。素晴らしい。
知らなかったのだが、サロマ湖はホタテ貝の名産地らしい。網走をはずしたのは正解だったかも。4年前の網走のライダーハウスではお好み焼きだったものなあ。
最終走行距離1008KM(松山より)