97年北海道ツーリング
期間 8月21日~8月29日
携帯電話を持参したものの北海道では電波の届きにくい地域が多く、どこでも話せるという訳にはいきませんでした。ツーリングの途中、休憩中や宿で日記を書き、ニフティサーブ(現@ニフティ)内パティオ「ピースサイン」へツーリング記録を書き込みながら走りました。(アクセスは主にカプラを使用して公衆電話から行いました。グレ電は北海道内にはきわめて少なくほとんど利用できませんでした。)パティオへ出入りしている友人たちには我々の行動がよくわかったはずです。登場人物はすべてパソコン通信で知り合いになった連中です。すべてニックネームとなっています。
写真はすべてサムネイルからオリジナルファイルへリンクさせてあるので拡大したみたい場合はクリックしてください。エクスプローラーなどで適正サイズに表示されますが、さらに拡大できますので細かなところもみることができます。
日記へジャンプ
21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日
おおざっぱにこんな感じで走りました。
8月21日 日吉村-大阪へ
夕刻当直医へ患者の状態を申し送って日吉村を出発した。東予港でマーナ、せーらー、せーらー友人の大西さんの3人の出迎えを受け、夕食。CATSお勧めの石焼きビビンバをごちそうになる。腹も膨らんだが北海道に向けての希望も膨らむ。 船室はマーナの計らいで1等A。快適な船旅。風呂が素晴らしい。湯が豊富で熱くなったりぬるくなったりしない。往復のフェリーで寝過ごさないように持参したポケベルのアラームをセットして缶ビールを飲んで熟睡。どんな目覚ましよりポケベルなら確実に目が覚めるという悲しい習性のため。(^_^;)
何とか覚醒。(^o^) 大阪南港を6時頃出発。高速の流れは順調。関西国際空港へは6時35分に到着した。連絡橋は往路しか使わないのに往復料金を取られた。一応文句を言ったが一介の職員に抗議しても無駄なことはわかっている。でもなんか理に合わないと思う。
特別許可をもらって関西国際空港の管理区域と呼ばれる場所へ入る。バイクを空輸するための手続きをしなければならないからだ。ガソリンを抜き、バッテリーをはずし、書類とバイクを預ける。やっと北海道に行ける。この何年も考えていたことだが現実味がなかった。しかし、いまや現実である。航空運賃、空輸代金などを送り、航空券が届いても実感はわかなかったがバイクを預けるととたんにひしひしと嬉しさがこみ上げてくる。
荷台に積んでいた荷物を担いで空港巡回バスで旅客ターミナルへ。ここからはいつもと同じ手続き。荷物を預け出発までの3時間を過ごさなければならない。ヘルメットを提げてオフロードブーツで空港内を歩き回るのはあまり格好の良いものではない。場にそぐわないのである。ほどなく落ち着ける場所を見つけた。国内線出発ロビーの端にある郵便局前のベンチだ。旅に出たときの習慣で絵はがきを書いて何人かに送った。ベンチ横の通路は職員の出入り口になっているようでいろんな人が入ってゆく。朝7時30分勤務にはいるのだろう。連中を観察するのもおもしろい。ベンチには仕事の休憩か、あるいはさぼっているのではと思えるような職員もいる。ジュース類の自販機もすぐ側にあり、なんといってもグレ電が5台も目の前に並んでいる。早速パティオへ書き込み、友人たちに電子メールを送ることにした。日頃疎遠な連中にも。電子メールは何人に送るのもほとんど手間は変わらない。うらやましがらせてやろうと思う。
缶コーヒーをすすりながら書いているとメキさんから電話有り。まったく携帯電話は便利なものだ。千歳でCATSと合流するための貴重な電話である。バッテリーの残量をチェックする。ベンチ横にコンセントはあるが、ここでの充電は必要ない。準備は完璧である。コンセントがないと生活できないCATSもここなら大丈夫。お勧めのベンチだ。
30分前搭乗口へ入った。ふと見るとバイクが今まさにジャンボジェットに積み込まれようとしているではないか。ジャンボと愛車のツーショットの撮影に成功した。
機内では北海道の予習。しかし、北海道は広すぎる。でたとこ勝負ということで、CATSに頼ることにしてあっさりと予習はあきらめ友人たちへの絵はがきをしたためる。
新千歳空港到着。なんか風が強い。空模様もおかしい。まずはCATSへ電話。すでに空港で待機中とのこと。合流してバイクを受け取りガソリンを入れていざ出発。
千歳でラーメン屋にはいる。CATSは2人前を注文。しかも先に食べ終わる。なんちゅうやっちゃ。雨模様になってきたためラーメン屋の中でレインスーツに着替える。遠くを見ると雨雲が見える。間違いなく1時間以内に本降りになるだろう。北海道ではこのようにして遠くの空をみて天気の判断を下すことができるようだ。このように遠くの空を見て天候を予測する方法はこのあと随所で役に立った。
早く走りたいから予定の宿(札幌東急イン)はキャンセル。旭川へ向かう。時間の節約のために恵庭から道央自動車道を利用した。札幌を過ぎたあたりから風が強くなってきた。江別市に入った頃には風が尋常ではなくなった。風上を見ると遠くまで石狩平野が広がっている。遠くに見える山から吹き下ろしてきたが風がすべて自分に向かってくるようなそんな気にさえなってくる。強い風がずっと絶え間なく吹いていてさらに時に「ドカン」と凄いのがやってくる。前を見るとCATSのバイクも右に傾いたまま走っている「ヤバイ」本気でそう思った。しばらくすると今度は雨がきつくなってきた。極度の緊張の中で約1時間、高速道路が山間部に入る頃、少しだけ風が弱まった。代わりに大雨。じっと耐えて旭川に到着。少し無理をして旭川まで来たがこの苦労が後になって報われることになる。CATSの網走タイヤ事件が発生したからである。
旭川に着いて最初に見つけたコンビニにバイクをとめてねぐらの検討。いろいろ相談したが、ライダーハウス旭川バイク村を選択。ちょっと迷ってしまい30分くらいかかってしまったがなんとか到着。700円を払って入れてもらった。先客は6-7人くらいだろうか。
ライダーハウスと呼ばれる宿泊施設はどんなものか。今宵の宿は築後50年は経っていそうな木造2階建て。1階はバイクショップだが誰も住んでいない。いや、生物学的に住めないのだと思う。一応電気と水道は来ている。下水道はないようだ。ご主人は19時頃にはいなくなってしまう。その後到着したライダーは事実上宿泊費無料。CATSが主人よろしく遅く着いたライダーに宿の規則を伝えている。といっても難しくはない。寝る場所とタバコの場所、便所の場所、ゴミの捨て方、ドアを閉める、これくらいである。我々はきちんと払って700円/泊。安かろう、悪かろうといった代物であった。しかし、宿泊費を切りつめて旅行する連中にとってはとてもありがたい。絨毯がこけむしていようと、電灯が薄暗かろうと、布団がなくても(あっても気持ち悪いとは思うが)、テレビが映らずとも、便所はお釣りが返ってくるが、それでも同好の男女が集まるから楽しい。いろんな奴がいた。JR+徒歩で廻っているフリーター、夏休みを利用して自転車で廻っている看護婦、、、北海道の楽しみ方も人それぞれといったところか。
風呂は近くの銭湯へ、食事は居酒屋で済ませて2日目は無事終了。夜は軽く宴会。
8月23日 旭川-網走 地図 写真
早起きCATSは6時には起床している。耳元でささやかれた。「雨だよ。」窓を打つ雨だれの音で気づいてはいたが、落胆にさらに追い打ちをかけられた。しかし、進まなければ全体の行程に影響が出る。とりあえず走れるだけ走ることにする。
7時、ほとんどの奴が出発準備をしている。神戸から来た若い看護婦は予定が遅れているからとJRで稚内へ向かう。自転車は分解して積むらしい。美馬牛の宿を勧めてくれた。今回は行けないが次回には寄ってみるかな。無職の若者は職を求めて美馬牛へ。岡山の情報処理の学生は帯広へ。みんな、また会おう。
近くのコンビニで買ったサンドイッチと缶コーヒーを流し込んでいざ出発。コンビニだが、ローソンが少ない。セブンイレブン、セイコーマートの2店が圧倒的に多い。この際そんなことはどうでもいいのだが、日常とちがう毎日、何でも楽しいのだ。
我々は39号線で層雲峡へと向かった。小雨ぱらつくあいにくの天気だが広々とした大地が広がっている。やっと北海道へ来た感じがしてくる。昨日は景色を見る余裕が全くなかったことを思えばこのくらいの雨は感謝しないといけないのかもしれない。途中愛別町でガソリンを補給。ホクレンの旗は既になくなってしまっていた。ま、次のスタンドにあるだろう。聞けば午後からも雨らしい。あ~~~~。がっくり。上川町でJR石北本線と別れ山の中へ。ガソリンスタンドの少ない区間に入るが航続距離の長い我がTTRにとってはなんでもない。タフなバイクである。森を貫く大雪国道でライダーハウスちろりん村前にさしかかった。大勢のライダーたちの見送りを受ける。この連帯感がたまらない。
層雲峡に着いた。約150メートルくらいだろうか。柱状節理の岩壁が見事。ここから大雪山の一部である黒岳へロープウェイで登った。景色は何もなし。見えない。何のために登ってきたのかわからない。が、山頂駅で昨夜一緒だったライダーに出会う。もう2度と会うことはなかろうと思いながら別れたのだったがまた会った。彼は三国峠へ向かうという。元気でなあ。
我々は再び39号線で東を目指した。大雪湖で南の三国峠か東の石北峠かと迷うがこの雨では林道を走るのは危険が伴うと判断して東へ向かうことにした。このあたり、勝手気ままな旅と言うことで、その日その時の気の赴くまま走っている。石北峠で記念撮影をしたが明らかに暗雲が追ってきているのでそそくさと峠を後にする。これからしばらく雨雲に追いかけられることになる。雨雲に捕まらないように峠を急ぎ下りる。天気がやや好転してくる。下り切ると道路はほとんど直線の走りやすい道となってきた。速度計を見ると90km/h。ああ、いけんいけん。気をつけないとついオーバースピードになってしまう。ここで自衛隊の偵察隊と思われるバイク2台とすれ違うが、ピースサインが送られてきた。奴らもバイク好きなんだろう。またこのあたりできつね牧場という看板を多く見たがきつねを育ててどうするのだろう。景色を楽しんでいる間に留辺蘂(るべしべ)町を過ぎ、北見市へはいる。この町はただ通り過ぎるだけの町だったはずだが、、、、、。さらに休憩をとらず(距離が伸びている割に疲れが少ない)に美幌を過ぎ、網走へ着いた。
まず、海岸線を斜里方面へ走り、カニの店を探し、おみやげを送る。結構高いが質がいい。ここでトラブル発生。CATSのバイクの前輪がすり減って危険な状態にある。タイヤ交換のためバイク屋を探すが網走はあまり大きな町ではない。1件目のバイク屋ではタイヤの在庫なし。今日は土曜日で問屋は閉まっている。万事休す。CATSは月曜まで待ってタイヤと取り寄せ交換するのでそれまで別行動をしようと提案。しかし、それも寂しい話である。昼飯でも食いながら考えることにして(このあたり、登山感覚である。まずは腹ごしらえと、、、)、回転寿司屋へ入る。この店でもう1件のバイク屋(内田さん)を紹介してもらった。ここへ行ったところ、やはり在庫はないが北見市にはあることを確認してもらった。そこで北見市のバイク屋までタイヤを買いに走ることになった。片道57km、16時に出発して18時5分無事タイヤを持って帰ってきた。CATSの安堵の顔が忘れられない。北見のバイク屋はオクヤマさん。感じの良いにいちゃんだった。「友達のために網走から走ってきたんよ、このにいちゃん」と周囲に紹介してくれ、コーヒーをごちそうになる。四国へ行くのが夢とのこと。僕にとってはこの地が夢だったと話すとにこにこしていた。
無事タイヤを交換してライダーハウスKAZUへ。2000円/泊で夕食付き。2段ベッドがあり一部屋6人、風呂付き。ここには常駐している女性(30代後半?)がいた。休暇のたびに来て滞在しているという。確かに安く滞在できるし便利なのだろう。
1日目に無理をして旭川まで走ったことが今日の時間的余裕につながった。さもなければ網走でじっとしていなければならなくなったろう。
8月24日 網走-羅臼 地図 写真
目を覚ますと大雨、またまたがっくり。早起きCATSは今日もすでに起きて準備を整えている。雨足が強いため出発を10時に遅らせた。コンビニへの朝食の買い出しをCATSに頼み、出発準備をする。皆、出発準備をする中で2人のライダーは今日は動かずもう1泊するという。聞けば昨夜我々二人のいびきのために眠れず、空いていた部屋に避難したという。悪いことをした。(^_^;)
一方我々はまず網走監獄博物館を見学。実際に使用していた監獄の舎房や独居房などを移築・復元したユニークな博物館。入ってすぐのところにある無料休憩所の名前が「ばんがいち」、納得。入場料が安く感じられた博物館であった。監獄の歴史、脱走の歴史、収容者の生活などが模型などを使って丁寧にわかりやすく説明されている。特に行刑資料館では風雪100年にわたる歴史の裏側に秘められた受刑者の生々しい記録や数々の資料が展示されており、北海道開発の現実を見て先人に頭の下がる思いがした。旭川からずっと走ってきた国道39号線が多くの人命を奪った道路であることも同時に知った。道路脇には囚人たちの骨が埋まっているとのことであった。なかに移動監獄の模型があった。畳1畳に一人の割で整然と並んで寝ている姿がどことなくライダーハウスに似ていた。
CATSはレンタルの傘をさし、レインスーツが蒸れているためズボンを膝まで下げて歩いている。僕はといえばゴアテックスのレインスーツで歩いている。さすが登山用グッズは高機能だ。全然蒸れない。観光客としては何とも不格好だがこの天気では仕方あるまい。
昼になって雨が上がった。よし、走ろう。244号線を斜里町へ向かう。オホーツクを左に見て走る。単調な海岸線。海の色が暗い。この海はもう冬に向かっている。道路に車は少なく走りやすい。オーバースピードに気をつけて。網走を出て15分ほどで小清水原生花園に着いた。観光バスが多く停まっている。遊歩道を歩いてみたいが時間がない。先を急ぐ。まっすぐな道が5キロ、10キロと続く。ついつい脇見をしてしまう。人家が少なく土地が広い。寂しい寒村といった感じだ。ほどなく斜里町に入った。中心地を約10キロにも及ぶ直線道路が走っている。ここを一気に駆け抜けて海岸線に出た。いよいよ知床半島を走るのだ。天気は曇り。雨でないだけまだいいか。
日の出海岸で小休止。サイクリング中の女性4人に写真を撮ってもらう。丸い水平線を見た。さらに走ってオシンコシンの滝を過ぎ、宇登呂へ到着。イクラ丼を食べた。味はまずまずといったところか。いよいよここから今回のツーリングのハイライトカムイワッカ湯の滝へ向かう。時間がないので途中の岩尾別温泉、知床五湖はパス。道はいよいよ未舗装となる。約11キロに及ぶ林道だ。こんなに長い林道は初めて。疲れを心配しつつ走り始めたが、思ったよりグリップがよく舗装路並みに走れる。右手には熊の出てきそうなうっそうとした森、左手にはオホーツクの海、いい気分である。そしてとうとう着いた。車が20台くらいは停まっている。なんと観光バスも来ている。なんてこった。秘湯が秘湯でなくなっている。
気を取り直してブーツを北見市で買った雪駄に履き替え、タオルを持ち、沢を登ることにした。最初の一歩、すでに水は温かい。滑らないよう注意しながら登る。登るにつれて水は温かくなってくる。見ると流れの中に緑色に着色した岩がある。ふつうなら苔であるから滑らないようにこれを避けるべきであるが、ここでは全く逆。硫黄分を含む流れのため生物は生きられない。実際この緑色の部分を歩くと滑らず安全であった。なんか変な感じである。
最初の滝壺に着いた。いるいる。何人も入浴している。しかし、皆水着着用である。なんてこったい。我々は裸で入るつもりで水着なんか持っていない。しかぁし、CATSは偉い。パンツで入ろうと言う。ここまで来て入らなければ悔いが残るというもの。二人とも柄パンである。よし。滝壺にて休憩。
で、帰るときに困った。替えのパンツがない。仕方ない。パンツを脱いでそのままズボンをはいて下ることにした。登りも大変だったが下りはもっと大変。結局ずぶぬれになり林道まで下って着替えることにした。
この林道の一般車進入最終地点、知床大橋まで走った。進入禁止の看板が出ていた。これより先は熊の領域なのだろう。早々に退散する。この帰り、10頭以上の鹿に出会う。皆行儀がよい。林道に出ては来ないし林道上にいるものはあわてて引っ込んでくれる。ぶつかれば奴らは命はないし、こちらもただでは済まない。用心して走る。
時刻はすでに5時を廻っている。急いでねぐらを決めねばならない。知床横断道路を羅臼に向かった。知床峠はひどい霧に包まれ、怖い思いをしながら走る。鹿が出てきませんように。熊が出てきませんように。峠を下りきるとすぐライダーハウスを見つけ、逃げ込んだ。結局知床峠からの景色は見れず。次回に期待。
ライダーハウス白樺、宿泊料1000円。これで雨がしのげる。安いもんだ。テントを張っても幕営料500円くらいはとられる。このライダーハウス、天井がやけに高い。CATSの情報によれば以前はパチンコ屋だったらしい。夕食は名物チャンチャン焼き。早い話が魚介類のBBQ。食べ放題。うまかった。特に初っぱなの鮭の丸焼きには驚いた。豪快そのもの。焼きながらライダーハウスのオーナーのおっちゃん、のってくる。ついに秘蔵の焼酎「標津」を出してきた。これでビールを割れという。バイクに乗れるだけの体力を残していただくことにしたが、CATSがこのカクテルにはまってしまった。へろへろになっている。このおっちゃんは漁師だそうだ。国後島などの北方領土の話をしたら返還されない方がよい、今のままがよい、とのこと。意外な返事であった。詳しくは語らなかったが、地元には地元の論理があるのだろう。うかつな発言はできないと知った。
腹一杯ごちそうになった後、SLEEPYご推薦の熊ノ湯へ。21時頃であったが結構人が多くてにぎわっていた。まったくこんな温泉が無料だなんて信じられない。森の中、川のそばでゆっくりと入浴した。
ライダーハウスに戻るとへろへろになってバイクに乗れないCATSはリブレットを取り出して書き込み中。二人でニフティの話をしていると若いにいちゃんが首をつっこんできた。なんとCATSの得意とするゲームのCGを担当しているという。ゲームの中の場面ごとの話がCATSとなんともかみ合っている。しかし、CG業界の厳しさも感じた。それにしてもこんなところでこんな人に出会うとは。なかなかおもしろそうなにいちゃんだった。別れ際にCATSに友人への電子メールを代送して欲しいと言ってきたのには苦笑。モバイルに興味がありそうだったがどうしているかな。e-mailアドレスを教えたので連絡があるかも。
この晩は騒がしかった。少しイカレタにいちゃんたちが宴会をしてたためである。羽目を外したい気持ちはわかるがそれにしても。しばらくすると一人がゲロ。万一のことを心配してしばらく眠れず。商売っ気が出てしまった。(^_^;) しかし、眠れなかったのは他の理由もある。CATSのいびき。結構ひどい。そしてさらにしばらくしていびきの二重奏になったことは間違いない。他の人は大丈夫だったろうか。
8月25日 羅臼-弟子屈町 地図 写真
6時30分起床。雨を覚悟してレインスーツを着る。ライダーハウスのおっちゃんに見送られ7時30分頃羅臼を出発。いつものようにコンビニの駐車場で朝食。ソ連が不法占拠している国後島がすぐそこに見える。あそこがソ連か、日本が全面降伏後に侵攻してきたソ連に対し、どうしても納得がいかない。羅臼からさらに北上し、辺境の地、相泊温泉、セセキ温泉(海岸にあって海水を混ぜて適温としている)方面へと行きたかったのだが時間の関係でパス。なにげなく国後島の地図を見ていたら奥セセキ温泉の名前あり。自由に行き来できた頃の名残かな。いつか国後、択捉と走ってみたいね。コンビニに高校生がやってくる。そういえば北海道はすでに新学期が始まっている。そしてここでもやはりルーズソックスである。こんな辺境の地でも、である。女子高生、世界に恥ずべき日本の文化? 一句できた。
国道335号線を南下する。左にはずっと国後の山肌が見えている。交通量はかなり少ない。薄曇りのせいだろうか。さびしい景色が続く。標津温泉からは野付半島方面へと走った。道の両側が海という変わった地形。ここには日本最大の砂州、とど松が海水の浸食と潮風の影響で朽ちた「トドワラ」が無数に横たわる荒涼とした世界が広がる。先端まで行って再び戻り、開陽台へ向かった。途中道路工事のため5分ほど停車を命ぜられた。交通整理のおっちゃんと話す。愛媛から来て開陽台へ向かうと言うと、いいところだという。バイク乗りに気軽に声をかけてくる、おっちゃんの性格にもよるのだろうが北海道はバイク乗りに寛容な土地柄だ。旅先でのこんなちょっとした会話がとてもうれしい。もう二度と会うことはないだろう、お元気で、つい思ってしまう。
国道224号線をまっすぐに9キロ、左折して道道975号線を12キロまっすぐ、こうなると道が地平線まで続いているように見える。この先ちょっとのところを曲がると言われても、ちょっとがどのくらいなのか見当がつかない。この地で言うまっすぐとは、道なりに走るということではなく、ハンドル操作をしないことだと知る。
田舎道なのだがスピードは70キロくらい。気をつけてはいるのだがついついオーバーしてしまう。牧場の中を走り続け、ほどなく開陽台へ到着した。330度の景色は圧感である。遙か遠くに地平線が見える。晴れてきた。風が心地よい。キャンプ場がある。満天の星空を見たくてここに泊まる人が多いそうだ。この展望台で地図を買った。地図なしで今まではどうしていたかというとCATSについていくだけ。たとえばCATSに明日は○○へ行こうと話す。CATSはあわてて可能かどうかチェックする、そんな調子であった。千歳で合流するなり土地勘のない僕が「おっ、今日は旭川まで行こう」と言ったとき、彼の表情が変わったことに気がつかなかったが、彼は内心困ったことを言い出したなと思ったらしい。いゃ~お世話になりました。言い訳するわけではないけどフェリーターミナルや関西国際空港、千歳空港などで地図を探したものの北海道のツーリング用の地図なんて置いてなかったんです。当たり前だけどね。それで今日までなんと地図なし。こんないい加減なツーリングも久しぶりだ。ところでCATSはといえば、なにやら怪しげな温泉情報本を買っていた。
天気が好転してきた。もう雨の心配はないだろう。レインスーツを脱いでジャケットに着替えて摩周湖へ向かう。途中ラーメン屋で変わったチャンポンを食べて弟子屈町へ。道は交通量が少なくゆったりとしている。天気は快晴。摩周湖までは迷うことなく順調に走り展望台に着いた。この登り道も何日かぶりの快晴のためか心地よい。適度な振動がバイクから伝わってくる。風を全身に受ける。車ではこんな気持ちにはなれないだろう。摩周湖のあまりの美しさにバイクを停めた。駐輪場代100円。ここでCATSと相談。まず宿を決めて荷物をおいて林道を走ることにした。摩周湖から下ってライダーハウス蜂の家を見つけたもののあまりにも寂れているのでパス。行き当たりばったりに民宿「楡」に泊まることにした。ここでの会話、「にいちゃんら、うちに泊まってくれるん?」ちょっと返事に困ったがライダーハウスよりはましだろうとここに決める。感じの良い宿だった。少し古いが旭川や羅臼のライダーハウスよりは人間らしい宿である。宿で簡単に道順を聞いて林道を求めて出発した。噴煙を上げている山があるので寄ってみた。よく見れば観光バスが多数停まっている。有名な観光地らしい。下調べをほとんどしていないので二人とも知らなかった。(;-_-メ;)硫黄山である。強い硫黄のにおいがした。温泉卵もあった。
林道は「屈斜路湖畔林道」という全長22キロのダート、周囲56キロ、北海道で2番目に大きな湖の北側を走っているルート。こんなに長い林道は初めてだ。一人なら無理をしないがもう1台CATSがいるので何かあってもなんとかなるだろう。(最後の日の夜に見せてもらったのだが、林道で動けなくなってもしばらくは生きていられるようなサバイバルキットを多数彼は持っていた。)しかしその林道が見つからない。探していると結局また町に戻ってしまった。途中、「大鵬の実家」と書かれた土産物屋があった。ここは大鵬の出身地らしい。迷ったおかげで観光ができた。で、ふたたび屈斜路湖畔に戻ると広島ナンバーのTRANSALPがうろうろしており聞けば彼も林道を探しているらしい。皆考えることは同じである。結局3人ががりで林道を見つけて走った。
左手に屈斜路湖面(屈斜路湖ではなく湖面)、右は人を拒むかのような森、木漏れ日の中を走る。バイクの特性もだんだんわかってきた。オンロード一辺倒だった僕のバイク選びだが、オフロードバイク、それもこの航続距離の長いTTRにして良かった。そして翌日からのコース選びであるが、なぜか林道ばかり通るように設定するようになりCATSが苦笑している。しかし、こうなったのも彼の責任が大きいわけで何も言えるはずもない。林道を抜け美幌峠まで登り屈斜路湖を一周して宿へ戻った。この宿、民宿とはいっても風呂は24時間OKの温泉。またいつか来ておっちゃん、おばちゃんと話してみたい、そう思わせるような宿であった。この夜、トンネル崩落事故を聞いた。そういえばテレビを見るのは久しぶり。ツーリングのことを知っている家族、友人に生きていると連絡。携帯のつながる場所のためニフを巡回して寝る。
明日の朝食が楽しみだ。なにせコンビニ以外の朝食を食べるのは久しぶりなのである。
8月26日 弟子屈町-新得町 地図 写真
6時30分起床。久しぶりのまともな朝食を食べる。日本人は米だ。しかし今日のコースはまだ未定。何せ道東の中心地にいるためどの方向にでも走ることができるのである。阿寒湖をどうするか。それとインターネットで見た標茶町の小学校に寄るかどうか。釧路湿原はどのコースで走るか。
しかし、釧路の和商市場の誘惑に負けてしまった。道道53号線で緑の丘陵地帯を抜け、国道274,道道1052、道道(国道ではない)243と湿原内に入り込み、釧路湿原展望台で休憩。この有料展望台は?景色も?必要性も?。東側の展望台の方が良かったような気がするが、もう廻っていくような時間はない。残念。
和商市場では並べてある新鮮な海の幸を大盛り310円のご飯にそのままのせてパクつく。うまい。日本でも有数の港の市場に置いてあるのをそのまま食べるのである。うまくて当たり前だろう。食べているとなんと、網走のライダーハウスで出会ったにいちゃんたちと再会。彼らは網走で我々のいびきから避難したにいちゃんたちだった。(^_^;)昨夜は根室にいた、とても寒くてテントが辛く、ビジネスホテルを利用した、、、らしい。道東はかなり冷え込んだ夜だったようだ。我々は温泉で暖まり、布団で寝ていた。ラッキーだった。
「このあと、どこ行くん? 一緒に走る?」と聞いたのだが、、、彼らは震えて拒否、、、、、、後でCATSに聞いて初めていびき事件の被害者と知った。来るわけないわな。納得。(^_^;)そんなんやったら和商丼をお詫びにおごってやれば良かったとちょっと後悔。
腹ごしらえを終わり、出発。市場の入り口のすぐ横にバイクを停めて食事をしたが、車ではこうはいかない。バイクの機動性はやはり素晴らしい。釧路を出て国道38号線を帯広へ向かう。太平洋を眺めながら快適な舗装路。白糠を通過した。地図に寄ればすぐ近くに道東大規模林道の入り口がある。全長68キロの道内一のロング林道である。通行止め箇所が多そうなので今回はパス。寂しげなたたずまいを見せるJR根室本線と並んで海岸線をさらに南下する。そういえば今回のツーリング中、JRを見なかった。本数が少ないのか。直別で国道38と別れ道道1038へ進む。厚内でここまでずっと一緒だった根室本線とも別れる。厚内は小学校も保育園もJRの駅もあるが寂しげな、映画に登場しそうな町だった。小さい頃からこんな町にあこがれがあり、ちょっと歩いてうろうろしてみたい気がするが時間がない。北海道は何回も来ないといけないな。
ここからはスコットランドの海岸線のような牧歌的な風景が続く。遠くに「何もない」(^_^;)襟裳岬が見える。ただ通り過ぎてしまうのがもったいないくらいだ。そして道はダートになる。ほぼまっすぐなダートが水平線を一望する崖っぷちにある。落ちたらちょっと怖いなと思っていると下からパラグライダーが登ってきた。なんじゃあ?ここでちょいといたずらを。右手にある牧場内に侵入。バイクに慣れてきたものだからつい強気になって牧草地を走る。うーん、たまらん。滑るのが怖かったがコントロールはしやすい。走るほどにバイクが自分の体のようになってくる。帰ったらバイクをいたわってやろうと思う。
スティーブ・マックィーンになりきったのち、国道38号線に合流する直前、危機到来。鹿の飛び出し。なんとか衝突は免れたものの危なかった。振り返って鹿をにらみつけたらにらみ返された。(^^;ゞポリポリ 38号に入るとまたまっすぐな道。眠気に襲われ休憩とした。
帯広に入った。幕別温泉へと向かったが高そうなのでやめた。次に十勝川温泉で宿を探したが高いのと、金比羅のような民宿があり、イヤになってしみず温泉へ向かうことにした。このとき、雑誌で見た白樺並木を発見。ちょっと走って写真を撮った。時間に余裕があればずっと走って十勝牧場展望台までダートを楽しんでも良かったが、宿が決まっていないため先を急ぐことにした。つまらない温泉2カ所で時間を食ってしまったことが悔やまれた。
とまあ、しみず温泉に着いたが宿泊はできない様子。が~~ん。仕方ない。近くのユースホステルに泊まる。サホロYH、YHに泊まるのは20年ぶりだ。驚いたことに、酒はOKだし、ミーティングもない。YHも変わったものだ。夕食は近くの居酒屋で済ませた。
ここは新得町、映画「幸せの黄色いハンカチ」で故渥美清が人の良い巡査役で登場する場である。映画の中の交番があるかどうかペアレントのにいちゃんは知らなかった。いびきを心配して同室の二人を先に寝かせてから布団にはいる。
8月27日 新得町-夕張 地図 写真
7時に起床した。早起きCATSはすでに付近を散歩済み。天気は雨という。あ~~、またか。朝食のテーブルには若い女性も何人もいたが誰も話さず黙って食事。寂しいというか、残念というか。皆天気に参っているのか。ユースも変わったなあ。
YHにはきれいな洗濯場とコインランドリー、乾燥機が備えられていたがやっぱりここでも洗濯はしなかった。自分でもこの無精さを何とかしなくてはと思っているのだが、いつも思うだけである。カムイワッカの滝壺の湯の染み込んだズボンは相変わらずぐしゃぐしゃになってザックの底に詰め込まれたままである。硫黄の臭いが腐ったようになって結構いい香りを醸し出している。(後日談:ふつう夏にこのような状態で放置すると緑色のカビが生えるのだが、さすがにカムイワッカの湯である。硫黄分が多いのだろう、帰宅後広げてみてもカビは生えていなかった。感心した。)
YHを出発したらすぐに昨夜からの手はず通りに目の前のホクレンのガソリンスタンドに寄った。実はこれまでに寄ったどこのホクレンにも例の旗がなくなっていたのである。北海道をツーリングする楽しみのひとつに、ホクレンの旗を集めて廻るというのがある。我々はツーリングの時期が遅いためこれまでどこでも在庫切れの憂き目に遭ってきた。バイクにつけてたなびかせているライダーを羨ましく思ってきた。しかし、ここ新得町はあまりライダーは来ない。旗がまだ残っているのではないか、淡い期待をしてのガソリン補給である。
そして、あったあ、、、、。やっとゲットォ! 羅臼のライダーハウスでもらった青い旗にやっと黄色いホクレンの旗を追加できた。できるだけかっこよくたなびくようにバイクにくくりつけ、気をよくして出発。
今日の予定は夕張だ。国道38号線を北上して狩勝峠を越えるコース、日勝峠を越えて日高町を突っ切る国道274号線コースがあるが、迷うことなくダートの多い狩勝峠コースを選んだ。常人には想像すらできないだろうが、好き好んで未舗装路をわざわざ走りたがる人間がいるものなのである。我々の乗るバイク、TTRとはまさにそのためのバイクといえる。
YHを出てほどなく、佐幌岳の山麓に広がる山岳リゾート、サホロリゾートを通過した。有名なスキー場ということで少し入ってみた。贅沢な作りである。気軽に来れるところではなさそうだ。
国道38号線はさらに緩やかなカーブをいくつも描き登ってゆく。眼下に広がる景色に気をとられながら登り切ると狩勝峠だ。狩勝峠では小休止。観光バスも休んでいる。この峠は北海道でも有数の難所だったようだ。東部の産物を札幌へ運ぶことを困難にしていた峠らしい。明治時代に多大な犠牲を払ってやっと鉄道のトンネルを掘ったそうだ。現在ではもっと標高の低いところに長いトンネルが掘られているらしい。地図を見ると線路がくねくねと苦労しながら登っているのがわかる。ここでも北海道の苦難に満ちた歴史を感じた。
缶コーヒーで喉を潤した後、出発。峠を越えると南富良野町だ。ちょっと遠回りして石勝高原幾寅線と呼ばれる林道を目指す。林道へはいる前にフライパンという役場経営のレストランで腹ごしらえをして林道へ向かうことにした。地図によると森の中を抜ける締まった約12キロ続くダートだ。熊笹の茂る森の中を走る。熊が怖いがバイクの音で逃げてくれるだろう。気持ちよく走ることができた。舗装路に出た。左折する。右折すれば夕張に近いのだが、わざわざ遠回りして林道を目指す。5-6キロも走っただろうか、突然高層ホテルが現れた。アルファリゾート・トマムである。日高山脈の北部、トマム山麓に広がる山岳リゾートで高層ホテルのタワーが建ち並んでいる。いかにも高そうなリゾートであるが、走るだけならお金は取られまい。そう考えて中をしばらく走ってみた。女性2人連れのライダーがいたのだが彼女らはここに泊まったのだろうか。プールあり、乗馬あり、ゴルフあり、、、、う~ん、高そう。(^_^;)
トマムを通り過ぎてすぐ双珠別林道に入った。渓流に沿い、途中にダム湖があり、約30キロ続く林道である。路面は締まっていて走りやすい。気持ちよい。バイクの音、振動さえも心地よい。あっと言う間に走ってしまい、占冠村に着いた。ここからさらに林道を走る予定であったが崖崩れのため通行止めとのこと。仕方ない。迂回しよう。この林道について地図に書いてあるコメント、道幅広いフラットダート、約20キロ、キツネ出没多い、なんとか走ってみたかったが無理らしい。国道を戻り274号線で夕張へ入る。
夕張といえば炭鉱である。最大の観光地、石炭の歴史村を訪れた。ここは炭鉱の町として栄えた夕張ならではのテーマパーク。エレベーターで地下1000メートルの坑道に下りることができる石炭博物館をはじめ、道指定天然記念物の石炭の大露頭など、興味深い施設がいっぱい。次に映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地を訪問。ぼろい住宅の内部はちょっとした記念館に改修されている。
このロケ地近くの散髪屋で黄色いハンカチを売っていた。早速買った。見送ってくれた独身の今治の3人組に贈ろうと思う。この散髪屋で宿泊について尋ねた。民宿や、「ひまわり」「ふれあい」という宿泊施設、ホテル、そしてライダーならと無料宿泊施設も紹介してくれたが、「あそこは~」と口ごもる。そこに泊まろうと思っていたのだが少々恐ろしくなってきた。無料というとどうも。
とはいうもののその無料宿泊施設を探しに走った。しかし、どうも見つからない。ここいらでちょっと考えた。CATSも自分もある程度の収入のある社会人、やはり少しは世間体を考えて、、、納得。無料宿泊所はやめることにした。で、行き着いたのは「ひまわり」。ホテル「ひまわり」でもなく、旅館「ひまわり」でもない。もちろん民宿「ひまわり」でもない。ファミリースクール「ひまわり」である。なんじゃこりゃ。愛媛では「ひまわり」というと老人保健施設、老人ホーム、養護施設などが思い浮かぶ。ここでは合宿の里?であった。夕張北高校が廃校になり改造されたものだ。グラウンドや体育館が付属している。エレベーターはない。通された部屋は教室を改造したらしく広い、広い。どこにどのように布団を敷くか、迷う必要などないのだがちょっとためらってしまう。記念に写真を撮っておこう。
広くてコンセントもある。荷物をどっと広げて整理をする。ログの整理もする。ゆっくりと落ち着ける宿だ。窓からは広いスキー場も見える。スキーの季節に来てみたいものだ。
最後の夜、明日は北海道を発たねばならない。寂しく思いながら眠りにつく。
8月28日 夕張-東予市 地図 写真
夕張を9時頃出発。なんとも名残惜しい。天気はこの日に限っては快晴である。
ルートはCATS任せ。千歳と夕張は思ったより近い。あっと言う間に空港へ着いてしまった。空港内を見物した後でバイクを預けた。もう北海道でバイクに乗るのはおしまいである。バイクを預ける直前にスタンドにてガソリンを抜いた。CATSはガソリン補給。悲しかった。ツーリング中に集めたパンフなどを読みながら時間をつぶし、搭乗。フライトは全く揺れず快適。
これまでツーリング中にはノートにいろいろな記録を書いてきた。出会った人の名前や住所まで。燃費や幕営料、入場料等々。レシートなどを貼り付けているそのツーリングノートを積み上げると1メートルにもなる。こうなると前に行ったときには、、、、、と過去の記録を調べるのは大変な作業となる。ところが今回からはデジタルノート、場所もとらず便利になったものだ。CDに焼いてアルバムとしよう。
北海道の思い出に浸る間もなく関西国際空港に着いた。想像はしていたがくそ暑い。たまらん。ガソリン補給をして迷いながら南港へ到着した。ここでオフの約束あり、金沢MIYAO氏を待つ。LXと遊んでいると見つけてもらった。
フェリーターミナル駅から2駅ほど行ったところにあるビル(名前忘れた)の最上階の展望台へ行く。なんと関西国際空港まで見えた。しばらく景色に見とれていた。かつて大阪には住んでいたのだが地理がとんとわからない。(;-_-メ;)素晴らしい観光名所を教えていただいて感謝>金沢MIYAO氏
展望台から降りて居酒屋風の店で夕食。フェリーに乗り込むだけの体力が残ればいいと、生ビールに手を出してしまう。金沢MIYAO氏とは職種が全く違うためか、いろいろな話が聞けて楽しいオフとなった。
フェリーの乗り場に戻りパソ仲間の福里さん登場。仕事帰りらしい。こんなに遅くまで仕事とは。ほんの数分しか話せなかったが直に会うのは初めて。写真を撮ったので行李堂ホームページの載ることになるだろう。
両氏と別れて指示された場所へバイクを移動した。ここで日吉村の隣の檮原町で毎年開催されるラリーレイドの参加者に出会った。しばらくラリー談義。
帰りの便もやはりマーナの計らいで快適な船旅。風呂から出たときスリッパがなくなっていたことを除けば。風呂から案内所まで裸足で歩いてスリッパをもらいに行ったがさっき二つ出してもうないとのこと。それなら空いている部屋のを取ってきてくれるくらいしてもいいと思ったが、とってきてはもらえず裸足で部屋まで歩く羽目に。ここいらの現場の判断がまだまだですな。
8月29日 東予港-日吉村
フェリーで東予港に到着。マーナに会う。おみやげを手渡してモデムをいただいた。東予港を出発。8時50分日吉村着。
走行距離1998.7キロメートルのツーリングが終わった。
最後までご覧頂きありがとうございました。北海道ツーリング2001版もありますのでよろしければご覧下さい。
2001版のコースは札幌から北へ礼文島まで、オホーツク沿いを下り網走というコースでした。