① 日本海軍が作った当時としては世界最大、最新鋭の戦艦、大和と武蔵だ。戦艦の価値が下がった今、これ以上の船が造られることはあるまい。大和は同型艦武蔵と比べ、より悲劇的な最後だったために日本人の心に今でも残っている。大和は宇宙戦艦ヤマトというアニメにも登場し、これは米国にも輸出された。なぜか名前はスターブレイザーと変えられているが、これはもしかしたら大和という戦艦を米国民に知られたくないのかもしれない、、、と思う。大和は片道分の燃料だけで航空機の護衛もなく出撃し、東シナ海に沈んだ。これは無謀な攻撃だろうか。沈めた方はどんちゃん騒ぎをしたことだろう。沈められた方は悲しみに沈んだだろう。しかし、時が経ち、勝者と敗者の興奮と悲しみが薄れ冷静に歴史を見ることができるようになったとき、大和の出撃はどのように評価されるのだろうか。
② 我々が戦後の偏向教育で教えられたことがある。戦艦の時代から航空機の時代に変わっていたことに気がつかなかった大本営が馬鹿だというのだが、そもそも世界で最初に航空機で軍事行動中の戦艦を沈めたのは、日本なのだ。航空機で戦艦を沈めた先例としては真珠湾攻撃とタラントの海戦があるが、そのどちらも撃沈したのは作戦行動中の戦艦ではなく、スイッチの切られた、港に停泊している戦艦だった。作戦行動中の戦艦を撃沈したのはマレー沖海戦での日本が世界最初だった。その後においても現代までの世界の戦史において、航空部隊が作戦行動中の戦艦を沈めた事例は、このマレー沖海戦と、終戦間際に圧倒的な航空機をもって沈められた戦艦大和(昭和20年4月7日)、同様に大多数の航空機をもって沈められた武蔵(昭和19年10月24日)の3例しかない。言い換えれば、戦艦(バトル・シップ)というものは、それだけ強力かつ圧倒的な存在だった。まして、マレー沖海戦が、世界で最初に戦艦を航空機で叩くという作戦だったということは、前例のない不可能への挑戦だったということであり、何事も、はじめてのことというのは、たいへんな緊張と決断力を要することを考えれば、日本が、どれだけ凄かったかがわかろうというものだ。一方、英国軍にしてみれば、日本を追いつめ、開戦に踏み切らせたわけで、すでに何ヶ月も前から日本がやってくることを見越して、準備万端整えて、日本軍を待ち受けていた。マレーの海域で、英国海軍は、100%確実に勝利できる体制をひいていた。開戦の6日前の12月2日に、英国の誇る最新鋭の巨大不沈戦艦である「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦レパルス、その他駆逐艦4隻からなるG艦隊をシンガポールのセレター軍港に入港した。
③ 戦艦プリンスオブウェールズは毎分6000発もの弾を射出できるポムポム砲など、当時最高クラスの武器を搭載し、ヨーロッパ戦線において十分な経験を積んだ戦艦であった。その艦名にも彼らの自信が感じられる。当時の国王ジョージ6世の兄王である、エドワード8世の即位前の王太子プリンス・オブ・ウェールズの名前を冠していたのだ。さらに英国東洋艦隊司令長官は、実戦経験の豊富な英国の誇る最強の士官、トーマス・フィリップス海軍大将。彼らは、日本のマレー上陸部隊の輸送船団を攻撃するために最強の布陣「Z部隊」を編成し、12月8日17時過ぎに、全艦シンガポールを出撃した。
これに対し、日本が対抗して派遣できたのは、艦齢27年の金剛と榛名の二隻で兵装・装甲の厚さも巡洋艦程度の実力しかない戦艦。悪い冗談としか思えない。が、日本は同様な条件で日清/日露の戦いを制した。だからこそ、英艦隊は必勝の布陣を敷いたのだ。
一方日本は、英艦隊に敗れれば、シンガポール攻略を図る日本陸軍への支援を絶たれ、下手をすれば全滅する。にもかかわらず、さける艦船は、金剛と榛名しかない。どうなってしまうのか、、
④ 実際の戦いを見てみよう。これからが本論である。事前の情報によって日本は英艦隊が世界最強戦艦のウエールズまで投入していることを掌握しているが、それでも勝たなきゃならない。そういう状況にあったのである。英国艦隊出撃の情報を受け、日本はサイゴンにある航空基地から、九六式陸攻59機、一式陸攻26機、計85機を出撃させた。うち、15機がウェールズに遭遇しこれを撃沈。ウエールズ撃沈の報告を聞いた英国首相チャーチルは、「あの艦が!」と絶句したと言われる。まず戦艦レパルスが沈み、次いで戦艦ウエールズが被弾し、沈む寸前にウエールズの艦長のトーマス・フィリップス司令長官は、日本の航空隊に向け、乗員を退官させるので、30分時間をほしい、と打電する。ウエールズの乗員たちは、巡視船エクスプレスに乗り移り、エレクトラとヴァンパイアが沈没したレパルスの乗組員を捜索し、エレクトラが571名、ヴァンパイアがレパルスの艦長と従軍記者を含む225名を救助した。その間、日本の襲撃部隊は、空で待機した。英国軍の救助活動の間、いっさいの攻撃行動をせず、空で待機したのだ。当時の飛行機は、燃費がよくない。30分の上空待機というのは、帰還するのに必要なギリギリの燃料しか残らないということであり、その間に英国の航空隊が急襲してきたら、日本の航空隊は帰還するための燃料を使い果たし、全機、墜落のリスクを負うことになる。それでも日本の攻撃隊長は、戦闘を休止し空で待機を指示したのだ。
⑤ ウエールズの乗員全員の退艦後、デッキには、トーマス司令長官が残った。このとき日本の航空隊は、全機整列し、一機ずつデッキ前を通過して、司令官に最敬礼を送ったと伝えられている。司令官は、その間、ブリッジから挙手敬礼をもって答え、日本の航空機との挨拶の交換後、司令官はデッキに体を縛りつけ、艦とともに沈んでいった。ちなみに、マレー沖海戦におけるプリンスオブウェールズの戦死者は、艦が轟沈していながら、総員の20%に過ぎず、戦闘中の死亡者以外、全員が助かっている。そしてさらにマレー沖海戦の翌日には、日本軍機が、再度戦闘海域に飛来し、機上から沈没現場の海面に花束を投下して英海軍将兵の敢闘に対する敬意と、鎮魂を行っている。さて、本論に入る。今まで書いてきたことはほんの前置きに過ぎない。では、この戦いの三年半後に行われた坊ノ岬沖海戦はどうだったか。この海戦では、戦艦大和が沈み、乗員3,332名のうち、90%以上にあたる3,063名が死亡した。なぜか。ウェールズでは20%ではなかったか。
⑥ 理由は簡単で、米軍が残存艦隊に対して、日没近くまで攻撃をかけ、さらに大和が沈没後、海上に避難した大和の乗組員たちに対して航空機から機銃掃射を浴びせて殺戮を行ったからだ。海上に救命艇で逃れた兵士というのは、武装していない。非武装の避難兵に対して、暴力をふるったことになり、明らかな国際法違反行為である。
本来、世界の海軍というのは、ごく一部の極悪非道な海軍を除いては、万国共通の「海軍精神」を共有ている。いわゆる「海の男」の誇りと矜持だ。艦隊の力を駆使して戦う。けれど戦い済んだら、兵士たちには罪はない。ところが、日米戦争の後期には、まるで様子が違ってしまった。
⑦ 戦争中、正義を貫き通した日本の武士道精神と、アメリカの残虐性について日本で放送されたテレビ番組を紹介する。戦場において我が身を省みず、敵兵を救助した駆逐艦の話である。数年前に、この時助けられた元兵士が来日し、思いを語った映像が残っており、日本で走られていなかった話である。雄弁よりも沈黙を重んじる日本人の国民性がテレビを見ると諸外国の人々にも分かってもらえると思う。また、我が郷土松山で米軍が行った無差別殺戮の話も添えている。こういった軍事施設のない都市を爆撃するのは当時も今も明らかな国際法違反である。
http://www.youtube.com/watch?v=jLdX2ngSepY
http://www.youtube.com/watch?v=vbHIC_CLDhk
http://www.youtube.com/watch?v=KcwX93oi1CE
⑧ なぜこのように日本は憎まれたのか? 日本が何をしたというのか? そもそも日本は、明治の開闢以降、世界のどこの国の民族よりも、勇敢で高潔で誰からも好かれる民族となろうと努力してきたのではなかったか。その精神は国民のひとりひとりにまで深く浸透し、日本軍はどの戦闘においてもハーグ陸戦条約を守り、無法な振る舞いは厳に慎んできた。あのB29でさえ、日本本土を空襲するに際して、墜落したら日本の捕虜になれ、日本人は乱暴な真似はしないから、と訓示がされている。(米軍兵士で処刑された者もいたが、これは戦うことのできない庶民に対する国際法で禁止された無差別殺戮を行ったからであり、むしろ処刑が当然。)ところが、大東亜戦争の後期になると、サイパン戦、沖縄戦等において、米軍は度重なる日本人への蛮行を働くようになる。なぜか。言わせてもらえば、それはフーバー元大統領から狂人と呼ばれたフランクリン・ルーズベルトと、同じく狂った朝鮮人李承晩による工作、プロパガンダのためだ。李承晩の日本を貶めるプロパガンダはルーズベルトにとって都合の良いものだった。アメリカの若者を集め戦場に送るのは悪い日本人を殺すためだと教え込んだに違いない。
⑨ 話を戻そう。戦艦大和の艦長は有賀幸作中将で、マレー沖海戦でウエールズを沈めた日本航空隊の隊長の叔父に当たる。つまり戦艦は航空兵力による爆撃攻撃に勝てない、ということを最もよく知る人物が、大和の艦長でもあったということになる。その有賀艦長は、航空機の援護なく沖縄までの片道の燃料しか積まない大和を出撃させている。そして大和は坊ノ岬沖で米軍航空隊386機による波状攻撃を受けて沈没した。制空権を持たない戦艦は敵航空機の前に歯がたたないという事実をよく知る人物が、なぜ大和の出撃を図ったのか。なぜ大本営は、その作戦を実施したのか。最後まで戦い抜くという意思表示だったのか。本土決戦となれば、日米双方に更に多大な死傷者が出ただろう。敗色の濃い日本にとって国体の護持は至上命令であったろう。それにしても、である。
⑩ 日本は、わずか15機で大英帝国の誇る完璧な対空防衛機能を持つ戦艦を沈めた。大和が出撃してくれば、米軍は数百機の航空機で大和を攻撃するだろう。そして数百機から爆弾を受ければ間違いなく撃沈されるだろう。前の記事に書いたように艦長にそれが分からないはずがない。その後に起こることもまた艦長には予想できたであろう。実際、ニューギニア海戦などで、日本は抵抗できない輸送船を沈められ、海上に避難した兵士達を航空機によって大量に虐殺されているのだ。大和が沈むとき、そこで何が起こるか。結局のところ、大和の最後の航海は「正義とは何か」を厳しく問う「神の声」ではなかったか。マレー沖海戦で、英国王太子の名を冠した戦艦に対し、明確な武士道精神を示した日本は、坊ノ岬沖海戦で、日本の国号「大和」の名を冠した戦艦を沈められ、乗員を虐殺される。
⑪ 大和の沈没以降も神風特攻が続いたことを考えるとこの時期に大和の護衛をする航空機がなかったわけではない。ではなぜ大和は航空機の護衛を持たずに出撃したのか。いつの日か、それは50年後かもしれないし、百年後、千年後かもしれないが、世界の人々が、ウエールズの沈没のときと、大和の沈没のときを較べ、人として本当に大切なことは何か、人道とは何か、勇気とは、愛とは、戦いとは何かについて、冷静に思いを馳せるようになったとき、世界の良心はそのときにこそ、皇国日本の栄誉と凄味に目を覚ます。日本は、いったんは戦いに破れるかもしれないけれど、いつの日か、ふたたび皇国日本は蘇る。大和の出撃には、そんな未来へのメッセージが込められていたように思えるのだ。
大東亜戦争における日本の軍人の死亡者 1,740,955人
民間人の死亡者 393,000人(うち広島原爆による者12万人、一夜の東京空襲で亡くなった10万人を含む)
忘れてはならないのは、亡くなられたひとりひとりの英霊が、ひとりひとりそれぞれ人生を持ち、生活や夢や希望を抱えた、心ある生きた人間であった、ということ。そのひとりひとりが、命を捧げて戦い、護り抜いたのが、皇国日本でる。15世紀に始まった列強の植民地支配。20世紀に日本がこれを終わらせた。オバマは大東亜戦争がなければ大統領になれたはずはなく、いまでも奴隷であったろう。
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